もやの音

北海道在住、教育関係者です。日々とりあえず気になったこと(もやもやしたこと)について、敵を作ってしまいそうな物言いをするブログです。

センター試験のこと

センター試験が近付いている。北海道は悪天候のため、受験生が無事に受験を終えることができるか、若干ハラハラする。

各高等学校の先生方、おそらく当日の朝はセンター試験会場に赴き、受験生にエールを送るため寒い中で自校の生徒を待つのだろう。その真面目さや思い入れには頭が下がる。風邪などひきませんよう。

さて、そんな先生方には大変申し訳ないのだが、私はセンター入試の応援を「しなければならない」と考えている人がいることに驚いている。受験場所が近隣であるならば百歩譲ってアリかとも思うが、受験会場まで車で2時間弱の移動が必要な学校の教員が、わざわざ前日から年休を取ってまで応援に行く必要はあるのか、と思うのだ。

受験生からしたら、受験のために面倒を見てくれた先生が「頑張ってね」と言ってくれたらある程度は嬉しいだろうが、「先生が応援してくれたから頑張ろう!」となる生徒が一体どれくらいいるのだろうか。冷たい言い方になるかもしれないが、コストを考えれば何とも無駄に思えて仕方がない。

色々と批判があるのは分かっている。しかし、ではなぜ大学受験の時だけ応援に行き、専門学校や一般就職の時はそうしないのか。どの種類の試験にしたって「人生の門出につながる大事な試験」には変わりない。「センター試験だから応援に行こう」という先生方に対して、どうしてもモヤモヤ感を抱いてしまう。

先生方と話していると、本当にこのような、「どうしてそうなっているのか」を考えさせられるケースが多い。

意気揚々と新学習指導要領についての内容を語る先生。しかし、どのような経緯で学習指導要領が改訂され、何を目指しているのかまでは話が及ばない。恐らく考えていないのだろう。

観点別評価を形にするために、必死になって謎のフォーマット作りに勤しむ先生。しかし、そもそもなぜ観点別評価が必要なのか、その根本まで話が及ばない。恐らく疑問に思っていないのだろう。

人間関係を主とした職場の環境や、教育関係のお偉いさん方との接触にやたらと敏感で、ネガティブな感情を抱いている先生。しかし、なぜそれほどまでに人間関係でびくつく必要があるのか、論理的な話は出てこない。恐らく感情が優位に立っているのだろう。

挙げればキリがないのでやめるが、「そもそもどうしてこうなっているのか・そう考えているのか」を見失っている人が多いような気がする。これから先の未来では、常に既存の物事に対して「本当にこれでよいのか」という眼を持つことが必要なはず。自己の感情や他者との馴れ合いを抜きにして。

なぜなら、社会の構造が一変しているから。大学に行くことが将来の安定につながるなどという時代はとっくに終わっている。「身を立てるために学問を」という考えがあったのは確かだが、そんなのは遙か昔の話。

養老孟司氏は著書「バカの壁」で『人間は働かなくても生きていくことができるような世界を作るために必死で働き、それを実現してきた。しかし、働かなくても生きている人間の究極の形であるホームレスが出現すると、それを社会問題にした。』と言っている。つまり、正しいと思って頑張ってきたことにより、新たな問題が出てきてしまったということだ。

だから、今自分たちがやってることや考えていることが本当に大丈夫なのか、随時考えていく必要があるのではないか。

普段からあらゆる事に疑問を持たない先生方では、「なぜ」という眼を持つ生徒を育てることはできない。

と、偉そうなことを言う私も、十分に日頃から「なぜ」という視点を持てているわけではない。だから、このブログを通して「なぜ」の眼を鍛えたいと思っている。